「殺して生かす、生かして殺す」を考える

日月神示には「殺して生かすもの、生かして殺すもの」というお言葉が書かれています。

これは輪廻転生をしっかりと自覚していないと理解しずらいお言葉かもしれません。

人間は人が死ねば悲しみ、生まれると喜びますが、その「一生」に対しての考え方を変革する必要があるのかもしれません。

最後の欲「不老長寿」とは?

人は時間に縛り付けられ、そして場合によっては永遠の時間を得ようとします。

昔の中国の王様が金銀財宝と人間の最高位を手に入れ、私たちならばそこで満足するはずですが、人間はもっと欲深い生き物なのです。

あらゆるものを手に入れた王は、その次に手にいれようとするのは「時間」です。

すべてを手に入れた王が最後に欲しがるのが「不老長寿」なのです。

これは中国の王だけではなく、世界中の覇者の多くが同じ思考をします。

現代でも長生きすることを「長寿」などといい、多くの人がそれを疑いませんが、私は疑問を感じています。

こんなことは公に口にすることはできませんが、日月神示を読んでいて、その考えに至ったのです。

実際に少なくない数の長寿の老人の中に「早く死にたかった」「長生きは地獄」と言われる方がいて驚いたことがあります。

長生きはその他の「欲」と同じものであり、長生きできることに感謝をすることは良いことですが、それに執着するのはよくないことだと私は考えます。

少し話はそれますが、日月神示では仙人になろうとする道「仙道」もまた悪の道だと教えています。

この一文によって、私はここまで解説してきたような考えを持つに至ったのです。

「死」には何らかの意味があるが・・・

確かに身内が死んだり、また自分が病気になって生きられる時間を告げられるのは恐怖です。

これは「人間は死んだら終わり」という、いつの時代からか始まった、日本人の死に対する価値観の影響です。

輪廻転生を信じ、それが自分の揺るぎない価値観になっていれば「死の意味」もずいぶんと変わってきます。

死んだら終わり・・・と考えていれば、死ぬことは深い悲しみと恐怖ですが、蘇ることが分かっていれば、「死は通過点」にしか過ぎません。

私はどれだけ日月神示を読んでも、死の本当の意味は理解できていません。

しかし、死には現代人が考えている以上の意味と目的があるのだと推測されます。

そして死は通過点であり、”消滅”ではないのです。

「世の中に起きることはみんな必然」という言葉を口にする人は多いと思います。

私もそう思います。

ならば、どんな不条理な死に方をしても、それは不条理ではなく”必然”なのです。

よく、死と罰をセットで考えられる人がいますが、私はこれも違うと思っています。

罰として死ぬのではなく、何か「他の意味」があって人は死ぬのではないでしょうか?

日月神示の降ろされた時期を考える

日月神示の研究家の中矢伸一氏によると、日月神示は第二次世界大戦の末期、原爆が長崎と広島に落とされた直後に降臨されたようです。

そしてそのときの最初の神示には「さあ、みなさん、これから新しい時代の幕開けですよ」と言わんばかりに、原爆の悲しみにも一切触れず、それはあたかも新しい時代に転換する「ほんの一つの事象に過ぎないのですよ」と言わんばかりの雰囲気です。

神は原爆で亡くなった罪もない方たちを憐れむどころか、むしろ喜びさえ感じる様子で神示を降ろされたのです。

この最初のエピソードは、日月神示を理解する上において忘れてはならないものです。

神が言う「助ける」は「命を助ける」ではなく”魂の救済”のことなのでしょう。

肉体は滅んでも魂が生き続けるのが輪廻転生です。

神は人間よりも遥かに長い時間感覚なのです。

そして信心を持つ私が考えなくてはいけないのも、「魂の救済」です。

日月神示では「救済」ではなく「洗濯」「磨く」という表現をされています。

大転換期は魂でさえ死んでしまう

世界中の予言者や各宗教の教祖が何千年も前から人類に言葉で残している「人類の破滅」「地球の破滅」といったものは日月神示にもよく似たニュアンスで書かれています。

核戦争・巨大地震・隕石・津波・・・などいろんな説や推測があり、中には宇宙人襲来説まで存在します。

正直私はどれも正解のようでもあり、不正解のようでもあり、推測すらつきません。

ただ、日月神示には「世界の建て替え」があることは何度もはっきりと示されています。

そしてその時「灰にしてしまう魂も出てくる」と書かれているのです。

人は死んでも魂が生まれ変わるのが輪廻転生ですが、それも今回だけは本当の「死」が訪れるのだそうです。

そして「少しでも多くの魂を残したい」というのが、神の真意なのだそうです。

「殺して活かす、生かして殺す」の真意の予想

ここでやっと本題の「殺して活かす、生かして殺す」の予想です。

神にとって、人間の肉体の死は単なる通過点であり死そのものに幸も不幸もないのです。

「殺して生かす」とは、肉体を死に追いやる処遇はしても、それは神がその人間を捨てたわけではない・・・ということです。

反対の「生かして殺す」は、命をつないでいてくれるからといって、その人の魂が神の考えから外れているのであれば、最終的にはその魂すら捨ててしまわれるということです。

死んだから不幸ではなく、また生きているから幸せとは限らないのです。

――現在重病を患い、生を強く求めておられる人なら気を悪くされるかもしれません。

しかし、誰でも口にする輪廻転生というものを、一歩掘り下げて考えるべきだと、私は思います。

大切な身内が病気や事故、あるいは非業の死を遂げたとしたら悲しいはずです。

しかし、その「死」には計り知れない意味が含まれ、そしてそれで「終わり」ではありません。

日月神示には、最後の建て替えにはいくつかの(ごく少数の)よりすぐりの魂が必要であり、そしてそれはすでに作られつつあるのだそうです。

「生き変わり死に変り、鍛えに鍛えた魂」だそうです。

人間は不幸の中で魂が研磨されることも日月神示にはよく書かれています。

苦労すればするほど魂は磨かれるのです。

人の魂に宿題として与え、死ぬときの不幸によって、生きているときの不幸によって磨き上げるのだそうです。

そういった激しく研磨されたエリートの魂を現在作られているのです。

おそらくそのエリートの魂を持つ人間は、周囲の人から見れば幸せな生活はしていないはずです。

不条理に痛めつけられ、良い思いもせず、人の目から見れば不幸に死んでいっているはずです。

そしてその魂はまた生まれ変わり、また不幸な人生を送るということを延々と続けているのでしょう。

おわりに

人類の進化と歴史などは、神の感覚すれば「瞬きしている間」だそうです。

長く辛い期間も、そレは魂を磨くために必要な時間であり、そして不幸は課題と研磨なのです。

身内を不条理な理由で亡くされた方は、その”死”は決して不条理でもなく不幸でもなく、また意味あるものだと考えてほしいのです。

その魂は罰を与えられたのではなく、研磨と洗濯のためのものであり、そしてそれは「神が寵愛する魂」であると私は考えます。

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