生まれ赤児の心とは?

日月神示は、その書かれている内容を理解する必要がありますし、「理解しろ」とも書かれています。

日月神示は仏教のある宗派のように、ただ呪文のように唱えるだけでは不十分なのです。

しかし、読んだことがある人なら、その難解さに理解することが非常に困難であることを知るはずです。

そして「生まれ赤児の心になれば理解できる」と書かれています。

この”生まれ赤児”とはいったいどういう心の事を指すのでしょうか?

その辺りを考察してみました。

モラルや宗教の教えではない?

難解な日月神示ですが、これだけは確実だと思えるのが、「生まれ赤児の心」とは、現代の人間社会において多くの人が共通しているモラル、思想、善悪の定義、あるいは宗教の勉強をしている人が獲得している価値観ではないということです。

たしかに、住んでいる国やコミュニティ、同じ時間を生きている人々の中で共通する精神的な価値観は、生きていく上で知っておく必要があるのかもしれませんが、日月神示によると、それがどうやら間違えているようなのです。

たとえば「戦争」は、世の中の多くの善人にとって忌み嫌われる人間の愚かな行為とされていますが、日月神示の中では「悪の根源」「悪の行為」といったふうには解説されていません。

むしろ、戦争は人間の魂にこびりついた汚れを浄化させるための現象とさえ説明されいるのです。

また戦争は人間ではなく、神が誘導してさせている行為だという解説もあります。

この日月神示の感覚については、非常にデリケートであり、戦争を肯定するという考えは非常に危険視されているものですので、ここで書くのも躊躇しましたが、日月神示を読まれた方なら納得できると思います。

そして、あらゆるモラルや宗教の教え、そして”善人”とされる人たちの感覚の中で「悪」と断定できるものをまず疑うことが、日月神示の教えを理解するのに必要な思考の柔軟さだと思います。

また、モラルや宗教を根源とする思想は、後天的なものであり、それは「生まれ赤児の心」ではないということです。

性善説・性悪説では理解できない

「生まれ赤児の心」と聞くと、すぐに連想するのが、人間や動物が生まれながらにしてDNAにインプットされている基本情報や「性善説・性悪説」の考えです。

人間は元来善人なのか?それとも悪人なのか?というものです。

現在に暮らす私たちから、生まれてから獲得したモラルや思想、生き方などすべてを排除すれば、そこに残った人物は「善人か?悪人か?」ということですね。

人間が生まれてから学んださまざまな定義こそが「生まれ赤児の心」ではないかという考え方もできます。

ただし、性善説・性悪説の考えかたには落とし穴もあるように思います。

それは、すでにそれを考えて判断する人が後天的に学んだ善悪の定義があるために、”後天的定義”によって判定をしてしまうからです。

なので、さまざまな要素から性善説と性悪説を考えたとしても、またその答えが出たとしても、それを判断するのが、後天的な考えを持った人なのですから、そこから生まれ赤児の心を知ることは難しいと思います。

「意識」と「無意識」

「意識」と「無意識」という考え方があります。

人間は脳で考えてそれが肉体を動かしているというのが、現代科学の基本であり、学者でもない多くの人もそれを信じています。

しかし、人間は脳で考える「意識的状態」以外でも、自律的に自動的に体をコントロールします。

心臓などの内臓やホルモンを分泌する機能などを頭で考えてコントロールする人はいません。

また、脳で考える意識のみが肉体コントロールの手段ならば、睡眠中に生きていくことはできなくなります。

人間は「意識」だけではなく「無意識」でも肉体をコントロールしているのです。

――古くから東洋思想では、人間の無意識について考えが及んでいましたし、仏教の研究者ならばかなりそのあたりのところは詳しいかと思います。

人間は、ふだん意識できる考え以外にも”無意識の考え”を持ち、それはイメージ力など通常では考えられない能力を持つということが分かっています。

仏教の「悟り」とは、人間の無意識に対してのアプローチだという研究者もいますし、私もなんとなくそうではないかと思っています。

仏教は戒律の宗教であり、意識や欲望に関連する様々な人間の意識を戒律によって制限することで、無意識の状態を誘引させ「もう一つの自分の能力」によって人生に新しい価値観をもたらせるものだと思います。

これもある意味生まれ赤子の状態に近いとも思いますが、日月神示の他の部分を読むと、それでは不完全であるようにも感じます。

またある人は、人間が後天的に習得したさまざまなノウハウというものは、命が関わるような緊急時には役に立つどころか、かえって邪魔になり、そういった際に自分のピンチを救ってくれるのは、「生きる力」だというのです。

”生きる力”とは、緊急時の人がとっさに発揮する「火事場の馬鹿力」のようなものです。

人間の無意識は、深層心理などとも名付けられて現代では科学の研究の対象ともなりつつありますが、そこに日月神示で書かれている「生まれ赤子の心」を読み解く秘訣があるのではないかと、私は考えています。

結論・・・

このように「生まれ赤子の心になれば神示はかんたんに読み解ける」と日月神示には書かれていますが、それがいかに難しいことかがわかります。

座禅や瞑想を繰り返したとしても、理解することは難しいはずです。

日月神示には、社会生活を捨てて精神世界のみに生きることは間違いであるとも書かれていますし、欲望を悪とすることも間違いであるとも書かれているので、仏教的な手法のみで理解するのもまた違うような気がするのです。

結局は答えは出ないままですが、ただ「生まれ赤子の心」を常に念頭において、ことあるごとにさまざまなことに対して当てはめてみるという行為は必要だと思います。

早く生まれ赤子の心を取り戻し、日月神示の内容が手にとるように理解できるようになりたいと思っているのはもちろん、この記事を読まれた人に対して少しでも正しい考えのヒントにでもなればと願っています。

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