日月神示の「上下が入れ替わる」について思うこと

日月神示には「上の者が下がり、下の者が上がる」という”上下が入れ替わる”という社会への予言が書かれています。

これを最初に読んだ頃にはあまりピンとこなかったのですが、最近思うところが出てきました・・・。

「地位」だけのことを言われているのではないのかも

日月神示の「上下が入れ替わる」という言葉は漠然としていて、数年前までは人々の現在置かれている「地位」が大きく入れ替わると思っていました。

しかし、現在豊富なお金と高い地位を持っている人は、それなりにノウハウがある人で、それも努力によって勝ち取ったもののはずです。

それが”入れ替わる”ということに合点がいかなかたのですが、最近では少し考え方が違ってきました。

――現代のような競争社会では、デリケートで他人を気遣うような優しい人は勝ち残っていけません。どうしても社会的には弱者になるのです。

現代の”勝ち組”になるためには、精神的に「強い」というよりも「図太い」人が上に上がります。

こういった社会構造が上下逆になるということではないでしょうか?

弱者は経済的に追い詰められたり、派閥・人間関係でも優位に立つことができないデリケートな性格です。

中には競争に敗れて「自殺」をする人も少なくありません。

日本人の自殺について

「自殺」は絶対によくありませんが、自殺する多くの若者は性善説が精神に刻み込まれているのだと思います。

みんな優しく相手を気遣うはずだったのに、人の社会(学校も含めて)に出てみると、多くの人がエゴを表し、自分さえよければ他人を蹴落とすというような生き方をします。

一方、優しく善良な人間は、それを見て絶望してしまうのではないでしょうか。自殺をする人は世界が灰色に感じてしまうといいます。

傲慢な人間社会はまさに灰色そのものですし、それは自ら進んで「競争社会という地獄」を作り出しているのです。

いじめが社会問題になっていますが、いじめている人も「地獄の住人」です。

興味深いことに世界でもいじめが原因で事件が起こりますが、その多くは「いじめられた側がいじめた人を殺す」のだそうです。

日本の場合は逆ですよね?

それは、日本人がそれだけ根本的に「善」の要素を多く持っているからだと思われます。

みんな優しい人だと意気揚々と社会生活を始めたのに、そこで他者を顧みない熾烈な競争やいじめを目の当たりにすることは「衝撃」以外のなにものでもありません。

心を深く傷つけられ、世の中が灰色になってしまうのも無理ないことかもしれませんね。

日月神示では「悪人」は悪ではない?

また、日月神示では「悪人」をそれほど悪く書かれていないようにも読み解けます。

悪人がなにかのきっかけで善人に生まれ変われば、中途半端な善人よりもレベルの高い(神に近い)性質を持った人間性に生まれ変わりやすいというのです。

私が過去に出会った、いわゆる「悪人」と言われる人たちのことを思い出すと、その言葉に同感することができます。

それは、思春期に何らかの原因で「不良化」してしまった人たちです。

彼らは粗暴で犯罪を犯すことを何とも思わないような人種ですが付き合いを深めると、温かく仲間を思いやる性格の人が多いのです。

その温かさは、いわゆる犯罪を犯さず社会モラルのある「善人」以上かもしれません。

彼らもまた思春期に「世の中が灰色に見えた」タイプの人たちですが、自殺する人とは違い、社会に反逆する道を選んだのでしょう。

多くの悪人たちは、過去に傷ついた経験を持っています。彼らも性根のところでは「性善説」が深く刻まれた人種なのだと思います。

日月の役員が訪ねてきたら・・・

世界が大転換期を迎え神の世界が生まれると、もちろん自分以外の人を思いやる人間が上に立つのだと私は思っています。

そして他人を押しのけて自分さえ良ければ満足するタイプの人種は、今ある地位から転げ落ちるのです。

また、日月神示には「日月の役員が訪ねてきたら、その人は落ちぶれているはずだがきちんともてなして返してやれ」とも書かれています。

神は天狗(傲慢で頭に乗っている人)を嫌います、その反対の性質の人を愛されるようです。

ですから、気が優しく現代の社会で落ちぶれている人が日月の役員であることが多いはずです。

誰かが訪ねてくる(出会う)ことは生きていれば多く経験しますが、中には本当の悪党や心が汚れた人がいます。

これをすべて手厚くもてなしてしまえば、こちらが被害を受けることになります。

日月神示では「おひとよしだけでもいけない」とも書かれているので、この訪ねてくる人を見分ける必要もありそうです。

昔は理解できませんでしたが、現在では、「その訪ねてくる人の内面を見て、弱くてデリケートで優しい性質の人ならば、どれだけ落ちぶれていても助けてあげなくてはならない・・・」という結論に至っています。

さいごに

気が優しすぎる人は、現代の社会では冷遇されています。

しかし、その状態に嫌気がさして誰かを憎んだり、自暴自棄になることはしないでもらいたいです。

現代で不遇に陥っている人は、ある意味神から選ばれたエリートであるとも言えます。

日月神示においても「つらくて自ら命を絶つ」ことを良しとはしていません。

どんなに虐げられても時を待つべきなのです。

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