神がかり・神の御用とは?

日月神示を読んで、この神様の御用がしたいと考える人はどんなことをすればいいのか考えるはずです。

団体がある宗教ならば上の人、先輩たちが教えてくれますが、日月神示には基本的に団体がなく本だけを読んでいる人なら迷ってしまうはずです。

私も読みはじめの頃はそうでしたが、何度か読み返すうちにちゃんと中に書かれていました。

「神の御用」とは?

日月神示の中には「神の御用」というワードがたくさん出てきます。

いったいこれらは何を意味するのでしょうか?

現代の人間の世界では、命はその人のものであり、個人個人がどう幸せになっていくかだけを考えられています。

集団は個人の幸せを保証したりサポートするためのもので、やはり個人が幸せになることが「人生の目的」なのではないでしょうか?

しかし、日月神示ではちょっと違う解釈がされています。

私たち人間は、神の役に立つために産生された生き物であり、神も人間を必要としている部分があるといった感じです。

なので、本来ならば一人一人の人間には、何らかの仕事があります。

ただし、多くの宗教団体に対してプレイベートな生活をすべて捨てて出家するいったような単純なものではなく、現代社会においてのあらゆる職業(収入があるものないもの含め)が神から何らかの役割を担われているということです。

それは会社の社長であっても政治家であっても会社の授業員であっても専業主婦であっても同様です。

この世の中(社会)を形成しているすべての役割が神の御用の一つだと私は解釈しています。

なので、日月神示の中では神示(日月神示)を読むことは基本として諭されていますが「そればかりせず自分の仕事も手を抜かずやること」と注意されています。

神がかりとは?

世の中には降霊術や占術・呪術など、この世とあの世の境を行き来するような霊的テクニックがたくさん存在します。

しかし、日月神示ではこれらを「九分九厘」否定しています。

こういった”神がかり”では霊的レベルの低い動物霊などが憑依することがほとんど、本人にとっても良いことはないのだそうです。

しかしその一方で「神がかりできるように身魂を磨け」とも書かれています。

それは、魂を洗濯し正神に憑依されて神の仕事を遂行するためです。

そしてそれは世界の運命を揺るがすような大きな仕事から、日常に起きている小さな営みにまで及びます。

一見普通の人が普通の生活をしているようでも、正神の大きなプログラムに必要な御用だということです。

「奇跡のないことが奇跡」とも日月神示には書かれています。

霊的動きっぽくないことの中に、本当に意味のある神の御用があるというわけです。

また、現在の世界の文明もまたそういった神の力が人間に乗り移り、人間の生活を大きく変化させた革命的な発明などを生み出してきたのでしょう。

それは信仰をしない人にも起こるようです。

日月神示を降ろした神は世界の人類全体の親のようなものであり、宗教者だけがその対象ではないのです。

正しい神がかりをされるには?

悪伸・動物霊に憑依されて道を踏み外すことは誰もしたくありません。

しかし、多くの人がその憂き目にあっているようです。

では正しい神がかりをされ、神様の御用に使ってもらうためにはどうしたらいいのでしょうか?

それは「考えず行動すること」だそうです。

なにか思いついてもそれを実行に移せる人はあまりいません。

また、思いついて行動をする人でも家計のことや自分のプライドやその他の諸事情によって”考えて”しまいます。

しかしその「自分の考え」が神を遠ざけるのだそうです。

たとえば、もし画家になりたいという欲求があっても、「画家では食べることができない」「自分の能力ではプロになることはできない」などという考えや悩みがふつふつと湧いてくるといった感じです。

これが”考える”ということです。

「考えは人の迷い」とも書かれてますし「絵かきになりたければその道を用意しているではないか」とも書かれています。

自分の悩みが神を遠ざけてしまうのです。

私は、「思いつき」について少し考えたとき、その”出どころ”が神からの信号・指令なのではないか?と思うようになりました。

思いつきは突然であり、その根拠もあってないようなものです。

そんなことを思いつく事自体が不思議であり奇跡であり、神がかりなのではないでしょうか?

身魂の洗濯をして素直になっていれば、神がかりしやすくなるとも書かれています。

これも神がかりかも?

いかにも霊的っぽいものが神がかりではないでしょう。

紫煙の中から光り輝く神が降臨し、その人に啓示を告げる、といったものは一部のかなり霊性の高い人にしか起きない現象でしょう。

実際に日月神示も岡本天明氏に降りましたが、そういった現象はなく、ただ「腕が強くビリビリと刺激して自然に筆を走らせた」といった感じです。

私は日月神示を読み視点が変わったことで、世の中にはさまざまな神がかりが起きているのではないか?と思うようになりました。

たとえばアインシュタインなどの科学者による「発見・発明」です。

さらにもっと日常生活に関わる車や航空機、電気、IT機器などの発明も同じです。

こういった発明は人類の生活を大きく変えるものですし、それによって人間の霊性にも影響があります。

また、「この世にあるものは霊界にもすべて存在する」とも日月神示に書かれていますから、それら発明品がこの世に現れる以前に、すでに霊界では存在しているということになります。

それを神がかりによって誰か媒体となってこの世に映されたのです。

これは悪口ではありませんので、先に断りを入れておきますが、発明などをする人は子供をそのまま大人にしたような人が多く、社会生活すらまともにできないような人も多いようです。

”天才とバカは紙一重”とも言いますが、まさにそんな人たちがとんでもない発明をするのです。

こういった人たちは、「興味を引かれるもの」を最優先に行動し、そこには”考え”や”悩み”を介在させないような気がします。

それこそが「考えずに行動する」を具現化しているのではないでしょうか?

もしそうならば、世の中の数多ある発明もまた”神がかり”の仕業だと思うのです。

さいごに

日月神示に書かれているよな「神がかり」「神の御用」は、私の霊的現象に関する価値観を変えてくれました。

出家をしなくても、修道院に入らなくても神様の御用はできるのです。

現在自分のしている仕事に対しても非常にやる気を出させて頂くことができました。

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