この世の大峠を迎えるにあたって取り急ぎ何をすべきか?

はじめに

日月神示を読み始めて共感を得た人なら、これから起こるであろう「この世の大峠」に怖れおののくはずです。

この世の大峠というのは、人類がこれまで経験したことがないような大変革のことであり、同じニュアンスの予言が古くから壁画や各宗教によって伝えられています。

日月神示に共感した人なら「何かしなければならない!」と、心が急かされるはずです。

この部分が日月神示のある意味のハイライトでもあり、最も大切な部分でもあるので、これから私が書くことはあくまで私が日月神示を読んだ”私感”ですので、参考までに読んでみてください。

私は教祖でも指導者でもありませんので、まちがった考えを持ってしまっている可能性は大いにあります。

破滅に対しての準備は必要か?

「この世の大峠」「最後の審判」「ハルマゲドン」などと聞くと、天変地異や大規模な核戦争など連想すると思います。

世界中の都市は破壊されて荒野となり、文明の残骸を使って生活をしたり、あるいは原始時代のような生活を人類が強いられる・・・。

こういったものが大方の予想なのではないでしょうか?

たしかに私もその可能性は否めないと思っていますが、そうならずに予想もしていなかったような状態になるような気もしています。

最近のインターネットでは都市伝説が流行していることもあり、「神は宇宙人説」といったものもあります。

私はこういった書き込みであってもたんなるオカルト的なものだとも思っていません。

日月神示で書かれる大峠の表現は、直接的ではないものの、「人間がぽかんと口を開けて言葉も出ない状態」と書かれているので、妄想的とも言える都市伝説を遥かに超越してしまうような驚きの事態となる可能性もあるのです。

私は予言もできませんし、霊感もありません。


また科学者のような専門知識もないので、これから起きることを想像することすら難しいのです。


どちらにしろ、今生きている現代人たちの生活は失われ、新しいスタイルの生活様式を受け入れなくてはならないことは確実なようです。


では、私たち(日月神示を読んだ人たち)は、その”破滅に対しての準備”をするべきなのでしょうか?


――この疑問もなかなか難しいところです。


日月神示には「助ける臣民はどこにいても助ける」と書かれていますし、日月神示のバックボーンにもなる「惟神」の意味の”すべて神に任せきる”ということから察すると『何もしなくていい』とも考えられます。


しかしその一方で「今のうちに干し草でも集めて用意しておけ」とも書かれています。


こういった一見真逆なお言葉に、当初かなり私は悩みましたが、一般的な災害への備えである防災グッズや食料の貯蔵レベルのことはしておいたほうがいいのではないか、と思うに至っています。


もちろん心の奥底では、神に任せきる気持ちを持ちながら、それでも人間のでき得ることの最低限の備えはしておく・・・と、こんな感じで考えが着地したのです。

日月神示を広めたほうがいいのか?

次に、日月神示に出会って共感した人ならば、「こんな素晴らしい教えを世界に広めるべきだ!」とも思うはずです。

実際に私もこういったブログを立ち上げて配信しているのですから、そう思った人たちの中の一人です。

しかし、これも非常に難しい部分があるのです・・・。

なぜなら、日月神示には、

「無理に人を引っ張ってくるな」

「おふで(日月神示のこと)の印刷はならん」

「知られると仕組みが壊れる」

しかし、これも日月神示の特徴なのですが、全く真逆のことも書かれています。

「神が(知らせるな)といったからと言って何もしないのでは誠の臣民とはいえない」

「7人の人におふでを知らせよ」

「おふでの裏の裏を読め」

とくに「仕組み(大峠のプログラム)が壊れる」ような事態になっては大変なので、私はこのブログを配信するかどうかを何年も考慮しました。

しかし、こうしてみなさんに私の考えを読んでいただいたり、本文をダウンロードできるようにしたりといったことをしているのは、決定的な「悟り」があったわけではありません。

本当にそれは単なる”勘”であり、または”その時なんとなく配信したほうがよいのではないか?”という気分になったからです。

日月神示をこうして世間の人に広めたら良いかどうか、については、私も日月神示に詳しい方に相談をしたいくらいなのです・・・。

なので、日月神示を読んで、これを広めたほうがいいか?悪いか?については、私も模索中ということになります。

取り急ぎ何をすべきか?

破滅に対しての準備はごく常識的なものでよいとして、また日月神示を焦って広めていいかどうかも不確かです。

しかし、私は日月神示を読めば読むほどジッとしていることが難しくなりました。

そこで私が注目し、現在の考えのコアになったのが、次のような日月神示の中のお言葉です。

「大工は大工、左官は左官の大峠がある」

「神の祭りばかりして仕事を休んではならん」

「仕事がその人の行である」

「神の国(日本)のお土を踏み、神国の光いきして、神国から生まれる食べ物を頂き、神国の仕事をする臣民に行は要らぬ」

これらを統合理解をした結果、私は「現状、就いている仕事をこれまで以上に頑張ろう」と思ったのです。

また、

「他人の十倍、百倍の仕事をしてこそ神の臣民」

「教会で飯を食うてはならん」

そして、一見神様のこと、あるいは精神世界的・宗教的なことにつながらない、ごくごく一般的な職業(主婦なども含む)がいかに大切であり、そしてその大切さを人間が把握していないか、ということに私は注視しました。

私は、ライター業をしていますので、その仕事をこれまでの十倍、百倍し、それが回り回って社会のため、人類のため、そして神様への信仰につながると、現状では思っています。

一日中日月神示を読んだり、祈るということを神様は望んでおられないと私は考えるのです。

スーパーのレジ、工場で製品を作る、工事をして家を建てる、物を売る・・・どんな仕事でも構わないのだと思います。

主婦も立派な仕事ですし、仕事を引退した高齢者の方なら、地域活動なども仕事の一つであると思います。

そういったことに「誠の心」をこめて一生懸命がんばることが、「行」であり「大峠への準備」ではないでしょうか。

さいごに

日月神示を読むと心が焦ってしまいますが、現在の私の考えは以上のようなものになります。

日本には「昇華」という言葉があります。

現在の一見信仰とは遠く離れたような職業であっても、どんどんレベルを高めていき昇華させることができれば、その過程で苦労を経験して魂の洗濯が行われ、また魂のレベルも向上していくのではないかと私は考えます。

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